櫻井 崇史 TAKASHI SAKURAI /  磯邉 一郎 ICHIRO ISOBE

墓石・アルバム・まぼろし
2021.11.20 (土) - 12.19 (日)

takashi_sakurai_ichiro_isobe_kayokoyuki_00.jpg

この度KAYOKOYUKIは、櫻井崇史と磯邉一郎による展覧会、「墓石・アルバム・まぼろし」展を開催いたします。

彼らはCGやコンピューターを用いた作品を制作しており、webサイトやSNS上で作品を発表してきました。
モニターを介して鑑賞した際にも、作品のマチエールからは、作家が物質的な性質の精緻な表現や描く行為そのものを重要視していることが伝わってきます。あるいは、カンバスや絵の具といった実質的な素材からはなれることで、彼らはそれぞれに「描く」ことを従来とは別の仕方で探求しているといえるでしょう。

本展では彼らの作品だけでなく作品が生み出されるプロセスにも着目し、いま一度、現代におけるデータと物質、仮想空間と実空間の関係性を探求していきます。


私は2018年からインターネット上に設けた場で絵を鑑賞できるようにするプロジェクト、「なめらかさ」※1を行ってきました。絵を描くために選んだ素材が3DCGであったことから、インターネットを通じ、ブラウザで絵を表示させて他者に鑑賞してもらうことが自然であると思えたからです。

「なめらかさ」の活動を続けながら、描いた絵をこの世に何とかして残したい、という思いも強く抱いており、データ作品をもとにしたプリント作品を制作し、両者をセットにして販売し流通させる方法を考えました。私は今回の展覧会では、今まで作りためてきたこのデータ作品のプリントエディションを主に展示します。

ブロックチェーンの技術が今後発展していくのを楽しみにしてはいますが、今の段階では、画像データという形式よりも物理的な印刷物のほうが数十年、百年後の世の中でも永く鑑賞可能な状態で残る可能性が高いのではないかと考えました。私がいなくなった後でも、「この世にこんな絵があったんだよ」と語り継いでくれることをこのプリント作品に私は期待しているのだと思います。この印刷物が作品そのものであると同時に、作品のことを思い出すきっかけとなる墓石、石碑のようなものなのではないかと思うことがあります。

***

磯邉一郎さんは近年、手描きとコンピューターによる処理を組み合わせて作成した画像や、日常の中で撮影された写真、個人あるいはグループで制作したサウンドなどをインスタグラム※2やユーチューブ※3のアカウントにアップし続けています。いわゆる”美術作品”としてのフォームをギリギリまで手放したそれらの表現物は、ひそやかでかよわいのだけれども、しかし裏腹にとても確固とした核のようなものを私は感じ取っています。

磯邉さんがイメージやサウンドをウェブサービスのタイムラインにポストする目的は、まず第一には自分で観るためなのだといいます。そして、ポストすることによってイメージやサウンドを「むこうがわにやる」感じがしている、と教えてくれました。全く同じ画像だとしても、手許のデバイスにローカルで保存してある状態に対して、アカウントのタイムラインに組み込まれてブラウズしている状態では見え方が異なっている、ということだそうです。

磯邉さんの言う「むこうがわにやる」という表現は、画像たちをあたかも「彼岸に送る」かのような響きがあります。またそれと同時に、まだ写真が印画紙にプリントされるのが当たり前だった時代に、バラバラだったものから自分にとって大切なものを選び出し、アルバムに綴るふるまいのようでもあるな、と私は思いました。

***

ディスプレイに映しだされた画像データに対して物質としての絵および印刷物を比べたとき、両者はまったくもって異なった特質をもっています。

ディスプレイと物質としての絵とでは、描写できる色や明暗の幅が大きく異なること。ディスプレイはそれ自体が発光して図像を表示しているのに対し、紙や絵の具などの場合は照明などの光源に照らされた光を反射して像を結んでいること。スマートフォンやパソコンなどを手許で操作して画像を視るときと、画廊などで壁にかけられた絵を歩きながら視るのとでは、鑑賞者と絵の物理的距離が異なってくること。などなど。

物質としての絵は、一旦壁面に掛けてしまえば再生機器を挟まずに常時鑑賞可能な状態にしておけることも、私にとっては重要なことでした。自宅などで設置しておくと、過ぎてゆく日々の中で絵と生活を共にする感覚が生じることがあります。しっかりと鑑賞するというよりも、生活の中でちらりと視界に入る、などといったことが起こるようになります。自然光、気候などの鑑賞環境や鑑賞者の精神の状態などによって絵と鑑賞者の関係性は常に変動し、うつろっていきます。

***

画像データと物質としての絵。各々に異なった絵としての特性があり、異なった鑑賞体験が発生します。それぞれの異なった点を捉え再構築することで、優劣の問題というよりもそれぞれ別の質を帯びた絵の作品としてお互いが補い合うように成立させる事ができると私は感じています。

明滅するディスプレイに映し出されるイメージは実体を伴わないことから、しばしば、まぼろしのようなものであると言われます。データの作品をプリントして物質として存在させるーまぼろしのようなイメージを再び描き出すーという行いは、「むこうがわ」にやったイメージを、「こちらがわ」、此岸に引き戻してしまうように見えるかもしれません。しかし、かがやきを失い、物理的な実体に閉じ込められ、その姿をさらけ出してしまったとしても、絵描きによって作り込まれたそれらは、絵描き個人が居なくなった後の世の鑑賞者と新たに関係性を取り結び、新たなまぼろしを立ち上げるよすがになるのではないかと私は思っています。

櫻井崇史

※1 https://www.smoothness.onl
※2 https://www.instagram.com/ichiroisobe
※3 https://www.youtube.com/channel/UCS2q_6xJv_qxSWLzO9LRagg

takashi_sakurai_ichiro_isobe_kayokoyuki_01.jpg

0011 2017 ink-jet print, acrylic mounting, 41 × 33.5 cm

櫻井崇史(さくらい・たかし)

1983年愛知県生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業後、同大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。2018年よりインターネット上で絵を発表するプロジェクト「なめらかさ」を開始。現在は東京都在住。主な作品発表は、「なめらかさ vol.3」オンラインプロジェクト(2020)、 「”国立奥多摩湖”-もちつもたれつ奥多摩コイン-」gallery αM(東京、2020)、「プローブ」switch point(東京、2019)、「なめらかさ vol.2」オンラインプロジェクト(2019)、「快晴」ペフ、Galerie P38、KG(大阪、パリ、東京、2018)、「なめらかさ」オンラインプロジェクト(2018)、「歩哨」小金井市環境楽習館(東京、2015)、「母と父」TALION GALLERY(東京、2014)、「モジュール村」JIKKA(東京、2013)、個展「絵の展覧会」空き物件(東京、2012)、「secret sequence」山手83(神奈川、2011)、「secret sequence」ampcafe(東京、2010)など。

https://takashisakurai.com
https://www.smoothness.onl

takashi_sakurai_ichiro_isobe_kayokoyuki_02.jpg

untitled 2021 ink-jet print, pencil on paper, 42 × 29.7 cm

磯邉一郎(いそべ・いちろう)

1969年広島県生まれ。1996年Bゼミ卒業後、埼玉県在住。
主な展覧会に、「works on paper 」rin art associationギャラリー(群馬、2017)、「ユーレイの海馬」市民ギャラリー 矢田(名古屋、2016)、「磯邉一郎x尾竹隆一郎 カイゾウニンゲン」URANOギャラリー(東京、2016) 、「ECHO展2 」ベタニアン・アートセンター(ベルリン、2012)、「どくろ興業 3331 TRANS ARTS 展」旧東京電機大学校舎11号館(東京、2012)、「Art for Tomorrow」トーキョーワンダーサイト渋谷(東京、2011)、「脱臼」island(千葉、2010)、個展「ざわめく、またたき」APMG武蔵野美術大学9号館6F608室(東京、2008)、「ECHO展」ZAIM(横浜、2008)、「VOCA展」上野の森美術館(東京、2007)、個展「X-EYE」山本現代ギャラリー(東京、2007)、個展「クリテリオム 62」水戸芸術館現代美術センター(茨城、2005)、グループ展 「Draw it Black!」山本現代ギャラリー(東京、2004)、など。